SANADAMARU

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真田丸が次の日曜で「最終回」
わたしが大河ドラマを真剣に見たのは2004年の「新撰組!」のみ。
そうです。三谷幸喜さんが監督であるという共通点。

 

個人的には三谷さんと大泉洋さんの組み合わせが好きで
割と軽い気持ちで大河ドラマ真田丸」を見始めました。

 

歴史に興味があるわけでもないわたしです。
本当に「とても軽い気持ち」で見始めました。

 

結果、見ようと思った軽い気持ちのわたしに心底感謝をしたい。
こんなに日曜日が待ち遠しい1年はなかったと思います。

 

三谷さんのフィルターに「知らないものたち」は助けられている作品だと思いました。
いかにわかりやすく、そしていかに身近に、当時の人々の葛藤をささいな出来事から引き出すか。
細部に込められている重さを毎回じっとりと感じさせてくれるドラマでした。

 

歴史上の人物たちが「本当に同じ日本人で、生きていた人間だった」ととても強く感じました。だからこそ、「ああこれって今のわたしと同じ立場なのかも」とか「頑張れ源次郎」とか絶対に同じ気持ちになどなれるはずもない死線の中で生きてきた武将たちに死ぬことなんて遠いところにあるものだとさっぱりと平和に生きているわたしが共感などという気持ちを持ち、彼らのドタバタに一喜一憂するのです。

 

正直大河ドラマとして他の作品との比較ができない以上、いいとか悪いとかはわかりませんが、少なくとも胸が高鳴り、熱くなったことは間違えありません。

 

そんな真田丸をテーマに10分デザイン。
真田家の「六銭紋」
ドラマ上の「真田幸村」は最終回でどのように燃えるのか。
期待。そして最終回はつらい。

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彼らが生きていた時代には真の意味での「悪」は存在していなかったんじゃないかと思います。
どちらの立場も「守る」こと。
ただの力だけのぶつかり合いではなく、ものすごい信念と頭脳を持ってぶつかり合う。全て「守る」ため。
現代に起こってる殺人事件や戦争というのは「守る」ためではなく「得る」ために行われているような気がする。

 

日本人の「義の心」
忘れないように引き継いでいたいものだなあ。

 

デザイン費はケチらないほうが良い(と思う)

日々、ものづくりの仕事に携わっていて思うことはいろいろある。

 

例えば、「ロゴマーク」を作ってくださいと言われる。

クライアントは「ネットで頼んだら◯◯円ぐらいで作れる」と言った後に

「で、ロゴマークを作って欲しいんだけど」となる。

そうなってくると

「◯◯円で作れるでしょう」という相手の思惑がチラついて

こちらとしては自分にフィットした打ち合わせにならない。

 

だって◯◯円で作れるわけないだろと思うから。

 

ロゴマークってそもそもあなたは何のために作るのでしょう。

誰からも愛され、覚えてもらえる。そういう商品や会社の"顔"となる部分を

作りたいから「マーク」を作るんだと思うんですよ。

何年も愛され、どんな用途にも使え、

そして何よりその商品や会社にしっかりと

馴染んだ意味合いが込められている象徴を作るってことなんです。

そのために打ち合わせの場があり、

そのためにデザイナーは必死でリサーチし構成し

様々な美しさを緻密に紡ぎ上げ、提案しているのです。

それを「ネットで頼んだら◯◯円」から始めてしまうのであれば

そもそも話なんてできないのです。

「いやだったら誰かもわからない人にインターネットで情報を渡し、

どこかで見たことあるようなレイアウトでなんのこっちゃわからない

ロゴマークをおっしゃる金額で購入したらよろしいと思いますよ」と。

 

まあここまでの話は割とよくある話です。

 

それでも組織としてその◯◯円で仕事を受けなければならない時があります。

様々なジレンマがありますから、そりゃその仕事に「愛」は無くなるわけです。

そういう時わたしはどうしているか。

 

「ハッタリをかける」

 

いくつかの要望をつなぎ合わせ、3つほどの答えを置いてみる。

その3つにスパイスを割と薄めて混ぜ合わせる。

できたものは基本的に嫁に出しても申し分ない子達が揃う。

ただ、このまま提出してもおそらく

インパクトがない」とか「どれも似てる」とか

「もうすこしパターンだして」とかそういった答えが返ってくるでしょう。

(最近の大学生、みんな同じ髪型とお化粧だよね、という会話と同じ)

(そしてここまでの行程は割と早めに終わる事が多い。なぜなら考えてないから)

 

ここでハッタリをかける。

 

それはデザインの美しさの勝負ではない。

いかに熱を帯びた雰囲気をまとった「言葉を加えるか」

 

ただなんとなく置いた「丸」

特に意味はなくとりあえずバランスいいから置いたとしましょう。

その脇役に「お前がここにいることで"勇気"と"希望"を表すことができて

未来に向かって永遠に走り続ける役割になるんだ」と暗示をかけると

この「丸」なしでは生きられなくなるのです。

 

こんな薄い例え話では、伝わりきらないとは思いますが

デザイナーを「無限にデザインを作り出す機械」だと思って仕事の話なんかをすると

とんでもないところで「失敗したな」と思う事が訪れるかもしれませんよという事です。

安く頼んだデザインの案件は必ずどこかで「安い部分を含めて」返ってくると思ってください。

 

イデアとはそういうものです。

 

カイロのパッケージ

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この1ヶ月、下腹部に1枚、尾てい骨あたりに1枚

カイロを貼って生活をしてみたら

とても体調が良い

ついでに生理不順も解決されている

体をあたためることの大切さを思い知っています

 

カイロのデザインを見つめてみた

赤、黄色、黒、白

この色合いでデザインするだけで画面から熱気が伝わる感じ

 

商業デザインって実は自分でやれと言われるととても難しい

単純な「美しさ」ではないからだ

一応、わたしも日本語で「貼るカイロ」と載せてみたが

目の前に実物があって同じように自分で作ってみても

購買意欲が湧くようなデザインにならない。

時間の関係もあり、英語表記に逃げてもこの有様。

(個人的にはじんわり気に入ってるけど笑)

 

商業デザインを専門として毎日仕事をしていないのでこう言った

いわゆる「日本のデザインのこういうところうっとおしいよな」と

思うこういうところを実際に自分でやってみると奥が深く

そして絶妙に合理的であることを思い知らされ、

そうやって身に置いてみると

「うっとおしい」という気持ちが消え去り

かすかな愛情が産まれている。

 

小さい世界で生きていることは知っているけれど

10年"誰かのために見かけをつくる仕事"をしていてもまだ

偏見や固定概念に縛り付けられていることを思い知らされるなあ

 

ということでこのブログでは身近なモノのデザインから

好みであるデザインを

自分なりに自分のために紐解くブログとしようと思っております。

 

S62生まれ札幌在住

ひとつの元気な会社で

グラフィックデザイナーをやっております。

よろしくお願いします