デザイン費はケチらないほうが良い(と思う)
日々、ものづくりの仕事に携わっていて思うことはいろいろある。
例えば、「ロゴマーク」を作ってくださいと言われる。
クライアントは「ネットで頼んだら◯◯円ぐらいで作れる」と言った後に
「で、ロゴマークを作って欲しいんだけど」となる。
そうなってくると
「◯◯円で作れるでしょう」という相手の思惑がチラついて
こちらとしては自分にフィットした打ち合わせにならない。
だって◯◯円で作れるわけないだろと思うから。
ロゴマークってそもそもあなたは何のために作るのでしょう。
誰からも愛され、覚えてもらえる。そういう商品や会社の"顔"となる部分を
作りたいから「マーク」を作るんだと思うんですよ。
何年も愛され、どんな用途にも使え、
そして何よりその商品や会社にしっかりと
馴染んだ意味合いが込められている象徴を作るってことなんです。
そのために打ち合わせの場があり、
そのためにデザイナーは必死でリサーチし構成し
様々な美しさを緻密に紡ぎ上げ、提案しているのです。
それを「ネットで頼んだら◯◯円」から始めてしまうのであれば
そもそも話なんてできないのです。
「いやだったら誰かもわからない人にインターネットで情報を渡し、
どこかで見たことあるようなレイアウトでなんのこっちゃわからない
ロゴマークをおっしゃる金額で購入したらよろしいと思いますよ」と。
まあここまでの話は割とよくある話です。
それでも組織としてその◯◯円で仕事を受けなければならない時があります。
様々なジレンマがありますから、そりゃその仕事に「愛」は無くなるわけです。
そういう時わたしはどうしているか。
「ハッタリをかける」
いくつかの要望をつなぎ合わせ、3つほどの答えを置いてみる。
その3つにスパイスを割と薄めて混ぜ合わせる。
できたものは基本的に嫁に出しても申し分ない子達が揃う。
ただ、このまま提出してもおそらく
「インパクトがない」とか「どれも似てる」とか
「もうすこしパターンだして」とかそういった答えが返ってくるでしょう。
(最近の大学生、みんな同じ髪型とお化粧だよね、という会話と同じ)
(そしてここまでの行程は割と早めに終わる事が多い。なぜなら考えてないから)
ここでハッタリをかける。
それはデザインの美しさの勝負ではない。
いかに熱を帯びた雰囲気をまとった「言葉を加えるか」
ただなんとなく置いた「丸」
特に意味はなくとりあえずバランスいいから置いたとしましょう。
その脇役に「お前がここにいることで"勇気"と"希望"を表すことができて
未来に向かって永遠に走り続ける役割になるんだ」と暗示をかけると
この「丸」なしでは生きられなくなるのです。
こんな薄い例え話では、伝わりきらないとは思いますが
デザイナーを「無限にデザインを作り出す機械」だと思って仕事の話なんかをすると
とんでもないところで「失敗したな」と思う事が訪れるかもしれませんよという事です。
安く頼んだデザインの案件は必ずどこかで「安い部分を含めて」返ってくると思ってください。
アイデアとはそういうものです。