分厚い鎧を着ているから、動けなくなるんだなと思ったこと。

「人間なんてちっぽけなんだ」
などと小説や旅好きの人たちはこぞって口にする

私自身、そういう思いをしたことは今まで何回かあった

海外旅行へ行っても、某テーマパークに行っても思った

「わたしってばこんなにちっぽけなんだ!何をくよくよ悩むことがあるのか!」

でもそう感じて数日後、いつもの日常に戻るとそんな風に感じたことをすっかり忘れて、ちっぽけな心でちっぽけな悩みをほんの数センチ先で蒸発するぐらいの熱量で細かく向き合い始めてしまう。この重たさ。。。限界に近い息苦しさを感じていた。

先日、我が城 北海道から離れ、岡山県倉敷市 美観地区に行ってきた。
仕事のついでではあったが、久しぶりの一人旅。

宿の予約などは災害が起こる前にしていたので、正直行こうかどうか迷ったが
風評被害で観光客が減少しているという美観地区の方々の様子をTwitterで拝見し、予定通り行くことを決意。
ボランティア的なことができない代わりに、小遣いの予算を大幅にUPさせた。

長々旅の話がしたいわけではない。
結論から言うと、本当の意味で「私はちっぽけだ」と感じられる旅にしたかった。

一人旅は自由で、自分がデブでもブスでもアホでも正直どうでもよくなる。
旅の最中だけは、自分の容姿を気にしなくちゃいけないことがほとんどない。
思ったままひとり言も言えるし、首に常時タオルを巻いたって全然気にならないし、何なら化粧直しなんて一度も...(ただのズボラおばさんか。)

自由に旅先で出会った人と話してて思うこと。

北海道にいながらこんな風に話を"自由"にできてるだろうか。
仕事で関わる人たち、友人たちとこんな風に自分の気持ちをストレスなく伝えたことなんてあったんだろうか。

とにかく私は自由だった。
誰の事も気にせず、仕事の事も頭から離し、気がついたらただ楽しいという気持ちだけを残していた。

いつもは俯瞰で見えてる自分を突然宇宙のはるか彼方から見ているような気持ちになった。

私はちっぽけだった。
ちっぽけじゃなかったらこんな風に思ったりしない。

自分が背負ってる無駄に重たい鎧の厚みでごつくてでっかくなってしまってるだけで、
一度それを脱ぎ捨てると、ただただ小さい「わたし」でしかなかったのだ。
軽くて小さくて、自由で素早い、わたしがいるのだ。

それを体感してから数日が経ち、北海道の夏の暑さは岡山の夏の暑さに比べたら天と地の差であるということを気にかけつつ、「ちっぽけだけどパワフルなわたし」を振りかざして朝を迎えられている。

今もなお、わたしは自由でちっぽけ

俯瞰で見るよりも、もっと遠くから自分を見つめて
そして体感して
始めてわかる「わたしの存在」

ガチガチに動けなくなったわたしを救ったのは
わたし自身だった。

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美観地区は本当にいいところだった。
ありとあらゆる美術館や展示室に入った。
全部よかった。特に大原美術館は素晴らしかった。
他にも、岡山の人たちはいい意味でフランクで暖かかった。
知らないおじさんも、観光客満載のわたしに挨拶をしてくれるし
美味しいお店も親切に丁寧におしえてくれる。
鷲羽山ハイランドは、いろんな意味で気が抜けてて最高だったし
水島コンビナートは、工場地帯という黒を感じる背景があるにもかかわらず
夜になると一変、ぐうの音も出ないレベルでのアートだった。

こんないい体験ができた岡山県。ありがとう。また行きます。